最近,不才
收藏了几样小
工艺品,经许多朋友协助多方查证,现确认这几个玩意儿为黄杨
木雕,图案一个猴子、一个
老鼠、另一个是乌龟。
藏品木质很好,敲击声音听上去有点儿嘎嘣脆的感觉,完全不同于一般木头的敲击声。
这三个摆件不仅木质致密,其雕工也很精细,
工艺极为精湛,猴子跟耗子底座上还刻有“吉川”两个字,乌龟因太脏,即使有字也看不清楚。
三个木雕小动物采自陕西,山西,内蒙,河北一带,推断为二战时期的日本人遗留物,且三个物件出自同一主人翁。
请各位看图,帮助给这几个小玩意儿起个名。
这是一对子(父)母猴
这是一只顽皮的耗子
这个海龟很绅士
吉川保正は1893(明治26)年6月27日、下閉伊郡重茂村(現:宮古市)にて吉川嘉傳治、アイの次男として生まれた。幼いころから絵が好きで、盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)在学中には岩手洋画の先駆者海野三岳の教えを受けた。
東京美術専門学校(現:東京学芸
大学)彫刻科在学中の1921(大正10)年2月、第3回帝国美術院展覧会に「小女立象」が入選、以後も彫刻を中心に出品を続けた。1927(昭和2)年2月には、中華民国雲南省立美術専門学校教授として中国へ赴任した。この間にハノイや安南までスケッチに出かけており、後には吉川自身も貴重な体験だったと語っている。1929(昭和4)年7月、帰国して岩手県商工館(現:岩手県工業技術センター)金工部長となる。このころから民芸への関心を深め、柳宗悦とともに東北地方を調査してまわった。戦後は岩手県重要美術品等調査委員、岩手県
文化財専門委員、盛岡市文化財調査員などを歴任し、絵画から神楽まで多岐にわたり調査を進め、美の発掘者として活躍した。
彫刻家舟越保武は、吉川の彫刻を初めて見た時の思いを後に語っている。“それまでは思いもよらなかった量の力みたいなものを感じて、あっ、と思った。彫刻とはこういうものだと思ったし、自分でも彫刻を作りたいと思ったんだ。”